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エッセー「半九郎が行く」 第2回

半九郎が行く
10 /20 2022
久保半九郎、1970年8月8日岐阜生まれ、札幌育ち。
武士道と義理人情にあふれた企業経営者。

趣 味:読書、料理、旅行
信 条:良い土をつくれば、自ずと良い人材が育つ
行動指針:動機善なりや、私心なかりしか? 神の見えざる手が秩序をつくる



北国の短い夏も終わり、山々が錦色に染まる時期になってきた。
運動不足解消に突き動かされ、たまには山に登りたいという衝動が湧いてきた。

装備なしで登れる山はないものかと、ネットで少し探してみる。
街に近過ぎれば混雑すると考え、近郊で初心者でも踏破できる山を探す。

ありました、ありました。

「小樽市塩谷の丸山は子供でも登れる」との投稿を見つけ、天気の良いのを確認し、早速出掛けると決めた。

少し分かりにくい登山口の駐車場に何とか到着すると、入りきらないほどの車と、颯爽とした登山スタイルの面々が大勢で歓談している姿。

スポーツには程遠い格好の私は、その脇を目立たぬように何食わぬ顔ですり抜け、一人深呼吸をして期待を胸に上り始めた。

私は、山育ちだが山登りではない。山育ちは木を切るか、山の幸を採るかであり、目的なしに山に登るほどお人好しでもないが、今日は登山である。

とはいうものの、自分は自由人だとでもいいたげに、タオルも持たず、登山靴でもなく、帽子も被らず、手袋もせずに普段着のままのいでたちである。

ところが、少し進んだだけで、自由人の期待も深呼吸も打ち砕かれた。

なんといっても、勾配が急なのだ。
ネット投稿では初心者向けの山と書かれていたが、不安になってきた。

でも、まぁ何とかなるだろうと軽い気持ちも健在であった。

ところが途中から、岩がゴツゴツ現れてきた。
急な傾斜に加え足元も悪くなり、ころぶ危険性が出てきた。

とはいえ、山育ちとしては後続者に抜かれるのも不本意だ。
下のほうから聞こえる熊よけ鈴の音にせき立てられ、焦って這い上がる。

車の中にスマホを忘れたので、正確な時間ではないが1時間も経っただろうか。
疲れ果てて、上を眺めれば、更に険しい石ころがゴロゴロと見えるではないか。

急に疲れが出て、ちょうど脇にあった少し大きな石に座り込んでしまった。

しばし休憩と決めたものの、心臓が依然ドキドキと音を立てている。
もう、諦めるには十分な条件だ。

上から降りてくる人に「あとどれくらいありますか?」と聞けば、
「3分の1はありますよ。」との返答。さらに弱気になる。

次に降りてきた人にも同じ質問をしたら、弱って見えたのか、
「ですが、ずっと険しい道が続くわけではありませんよ、上はなだらかなところも多いですよ。ゆっくり登れば大丈夫ですよ。」と不憫に思ったのか、同情とも取れるお言葉を頂いた。

しかし、誠実そうなその人の言葉に心が反応した。
新たな希望が湧いてきた。

気を奮い立たせ、目さきのゴロゴロ岩に挑む。
100メートル位の急勾配をやっと乗り越えたものの、たったこれだけで休憩前よりも足が重くなり、もう限界かと思った。

しかしこの時、さっきの「ゆっくり上れば大丈夫ですよ。」を思い出した。

そうかそれならば、と歩幅をそれまでの半分にした。
速度は遅くなったものの、体がすごく楽だ。

これはいけるなと実感したところで、言われたようになだらかな道も出てきて、ゆっくり歩けばほんとに疲れないと自信がついた。

最後に険しい道があって、ようやく頂上に到着。
海抜629メートル、小学生には少しハードルの高い山だ。

しかしながら、この低い山でも360度見渡すことができ、充実したひとときを体感できた。
逃げずに挑戦をして良かったと実感した瞬間である。

体力の衰えをなんとか工夫をしつつ、厳しい場面でも逃げずに乗り切りたい。
「牛歩でも乗り越えていく、また楽しからずや。」とは、都合4時間の成果であった。
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深貝 亨

P・R・O行政書士法人 代表のブログ