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【 北国の春 】

徒然
03 /18 2019
寒かった北海道にも、やっと春が近づいてくる。
春の気配は、ある時は、徐々に多くなる南風の日、風が根雪の表面を溶かし、ザラメ雪が目立ってくるとき。またある時は、木々の芽が日差しを求めて徐々に柔らかくなり、芽吹く準備を伝えて来るとき。

もう何も考えることができなくなった母だが、この時期になると、体調が良ければ、陽気に誘われてか、千昌夫の「北国の春」を口ずさむ。自分が20代の頃、盆暮れに帰るときっと嬉しかったのだろう、家事をしながら当時流行っていたこの曲を鼻歌で歌っていたものだ。
この曲の「こぶし咲くあの丘北国~の」の歌詞は大好きだ。まだ黒い北国の山肌にポッと咲く真っ白なこぶしの花は、可憐さと力強さの両面を持ち合わせていて、北国に住む人々の春への期待をこの花が代表して伝えてくれる。
だが、「あの故郷へ帰ろかな、帰ろうかな~」は、若い時分は非常に厄介で苦手な歌詞だった。

若者の例にもれず、自分も20代の頃は自分探しに明け暮れ、与えられたであろう自分の使命を捜し求めていた。将来が見えない不安が故郷への郷愁をより一層膨らませ、青春の焦りともがきに悩む日々もあった。
歌詞はいくつになっても故郷の山々を思い出させてくれたが、それはいつも甘酸っぱい青春の日々とセットになっていた。

近頃、母の病は確実に進行している。もう15年も前に逝った父親を思い出し、突然姉に向かって「お父さん、今日は会合があって見舞いに来られないんだと」と言った。
何を思い出しているのか知る由もないが、陽気につられて歌う「北国の春」は歌詞も音程も昔とそう変わらない。
春がそうさせるのか、人がそうさせるのか、どちらがどうかは分からないものの、口をついて出てくる鼻歌は、母にとっては心の歌なのだろう。けど、見る側聞く者にとっては、哀れでもある。

人生探しに疲れた頃、やっと回りが見えてきて、使命は、自分の中にあるのではなく、自分の周りにあるのだということに気付かされた。周りが必要としているから自分が生まれ、そして周りの環境に育てられたのだと納得した。
忙しく働き詰めだった母は、人の役に立つことが自分の使命だなんて、考えたことがあったのだろうか。
しかし、仮に何も考えなくても結局そうやって生きている。そうやって普通に生きている人のほうがむしろ幸せだ。

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