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【 連休明け 】

徒然
05 /07 2019

改元に伴う大型連休が終わりました。いつにまして心も身体もだるくて重いのは自分だけではないでしょう。

あれは、高校2年の5月だったと思います。
夏の高校野球大会を前に、我校の応援団は危機的状況にありました。現役の団員が少ないうえに、新入生の勧誘も上手くいかず、部員数が通常の半数以下という非常事態に突入しておりました。
そこで、生徒会の下した決定は、各クラスから最低1名の応援園団員を選出するという荒療治でした。

今も昔も、後輩世代は先輩方から厳しいお言葉をいただいております。当時、我々の世代を指す呼び名は、「無気力・無関心世代」という言葉で、団塊世代の先輩方から見ると何とも頼りのないしらけ世代という眼であったようです。
こういう世代だからこうした問題が起き上がったのかどうかは定かではありませんが、この問題はクラスでは衝撃でした。

ホームルームでは、生徒会の決定に対する不満も多く出ましたが、現実に誰かが対応しなければならないとの意見が大勢を占め、このクラスからも応援団員を選任することになりました。
ところが、総論賛成各論反対ではありませんが、いざとなると誰もが自分だけはやりたくないと手が挙がりません。もう時間もなくなってきた頃、少し悪ぶった連中が推薦の口火を切りました。標的にされたのは一番体格が良くて、少し気の小さいA君でした。クラスは1年生から同じ顔ぶれなので、お互いの強さも弱さも分かっていたのと、体育会系のクラブに所属していないことが条件だったので、A君にお鉢が回ってしまいました。
A君は、最初猛反対をしましたが、多数決では勝てないと思ったか、「ならば、もう1人選んで欲しい。」と、半ば涙声になって訴えました。でも、誰も巻き添えになりたくないので、悪ぶった連中を中心に、「早く多数決で決めようぜ。」と繰り返しました。

ところがその時、突然B君が、「俺がやる」と挙手をしました。周りはあっ気に取られました。確かにB君も体育会系のクラブには所属していませんでしたが、彼は真面目人間のグループで、応援団には明らかに不向きでした。でも、この状況では誰も反対はできず、教室は静まり返りました。1人喜んだのはA君で、急に元気になりました。結局、我クラスは、2名の応援団員を選出しました。
その夏、B君も大声をあげて応援団の練習をしていました。クラスの他の連中は、無気力世代よろしくその後は誰もこの出来事に触れませんでした。

さて、肝心の野球部は、1回戦勝利、2回戦全校応援の甲斐もなく敗退。その夏は、地区大会予選であっけなく終わってしまいました。
でも、A君もB君も3年生のクラブ活動が終わるまで応援団員でした。

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