紅葉の頃

徒然
11 /07 2016
 今年も紅葉前線が南下してくる時期となった。
 一枚一枚が葉脈まで透けて見えるほど真っ赤になったモミジの葉と、木漏れ日に照らされた白樺の黄色の葉の小径を通り抜けるとき、毎年のことなのに新たな感動を覚える。
 こんな紅葉の美しさを身体で感じることができる人は本当に幸せ者だ。

 だが、そんな紅葉も永くは続かない。
 落葉の時期、木枯らしに吹かれて舞い落ちる木の葉は都会ではどちらかと言えば厄介者だ。強くて寒い風が落ち葉を舞い上げ、風の当たらない場所に吹き溜める。せっせと竹ボウキで掃き集める朝が何日か続く。「たき火だ、たき火だ、落葉焚き」ともいかないから誰かが作業をさせられる。
 
 一方、自然界では作業をする者はいない。植物は夏の間、緑の葉の工場で太陽の光をエネルギーにして、水と二酸化炭素から光合成によって養分を作る。緑色だった葉が紅葉して落ちれば、その養分も森の栄養になる。舞い落ちる木の葉は強い風に吹かれて森の窪地に溜まる。窪地には、雨やみぞれや雪も溜まり、葉を朽ちさせ微生物活動を助ける。その微生物をエサに様々な生物が育ち、それをさらに上の動物が捕食する。森の食物連鎖だ。完成された循環社会。何百年も生きる木々は、もうすべてをお見通しのように、自ら葉を落として水分摂取を減らすとともに、周囲に養分を与え、春に備えるのである。木々は、こうして一歩も動くことなく生まれついたこの場所でずっと生きてきたのである。

 人間といえば、科学を武器に自然を制覇することに躍起になって、昼夜の区別も夏冬の区別もなく、エネルギーを消費して行動範囲を拡大してきた。しかし、ここにきて地球温暖化や、人工知能の恐怖におびえている。ある意味では随分非効率なことを続けているのかもしれない。地球の四季と連動することで得られる効率化にもう少し目を向けていれば何かが変わったかもしれない。熊が冬眠するように、太古の時代は人の身体も季節の変わり目で何らかの変化をしていたのであろうか。

 よく分からないが、それでも今日よりも寒い明日がやってくる。
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