一億総活躍社会の足元

徒然
03 /02 2016
政府は、一億総活躍社会の実現を目指すというが、とても一筋縄ではいかない。
若者も高齢者も女性も活躍できる社会、安心して子育てができる社会、介護離職者ゼロを目指すというから、総活躍の活躍は「職業」を想定してのことであろう。

よく時代の変遷を反映するとして、小学生、中学生の頃にあこがれた職種が取り沙汰される。
運動も歌も音痴だった自分はスポーツ選手も歌手も目指したことはなかったが、我々が小学生の頃の人気職業は男子ならスポーツ選手だったし、女子ならスチュワーデスだった。しかし、そうした子供のころの夢が叶った人は少ない。
一方、現在進行形で夢に向かっている若者はいつの時代も健在だ。むろん小学生、中学生は、そのスタート地点にあるのだから、どの時点かまでは、誰もが夢の線上にいたはずである。

夢を諦めた人は、自らの限界に気付いたのが圧倒的だが、自分ではどうしょうもできない大きな壁に阻まれて諦めざるを得なくなった人も少なくない。その「壁」の主犯格が学歴偏重だ。職業に貴賤は無いなどと云われた時代もあったが、学歴偏重社会は世間体で職業を選ぶから、適用できなければ、引きこもり、ニートといった非正規雇用者となる。家庭も学校も社会もこの課題に正面切って向き合う前に子供は就業の適齢期を逃してしまっている。

社会が、職業を計る物差しから学歴を削除すれば、多くの若者は解放される。そして、激減している職人の数も質も飛躍的に伸びる。身体で仕事を覚え、手に職を付けることの価値観を定着させない限り一億総活躍は実現しない。
働く環境の整っていない分野に手を差し伸べるのも大切なことだが、一方で、働く意欲のある者を取りこぼしていては、ザルで水をすくっているようなものである。
いくら寿命が延びたといっても、人が働ける期間は50年がせいぜいだろう。子どもの頃の夢と現在の職種が一致しなくとも、折り合いが付く職業に就くことができれば、職業を通じ多くのことを学習できる。結婚も子育てもできる。職業が人をつくり、経験を重ねればリーダーにもなれる。気が付けばそれが天職であると言い切れる、そんな人物が世界に羽ばたけるのも伝統的な「日本人気質」である。

努力している者に力を貸すのが、為政者の王道であって、日々の生活を変えて「右向け右」と号令を掛けることは非効率的だ。
何よりも不満が渦巻き、人はより多くの手を差し出すようになる。
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