荒夜の7人

徒然
04 /30 2013
ロータリークラブの交流事業で韓国に行ってきた。韓国を訪れるのは3年ぶりだろうか、複雑な国民感情からか、最近は足が遠のいていた。
訪問先は、国際ロータリークラブ第3700地区、ソウルとプサンの中間あたりに位置する大邱(テグ)市を中心とした地区である。盛大な歓迎行事ですっかり御馳走になったが、飲み足りないおじさん7人は、ハングルを話すことも読むこともできないのに夜の街に繰り出すこととなった。
とりあえず、大邱の駅に向かったのは、だれの頭にも駅周辺には飲み屋があると刷り込まれているからだ。経験に基づき、駅への人の流れに逆らって人通りの上流に向かって歩く。ところが、普通ならとっくに酔っ払いが目立つ距離まで来たのに、なかなか飲み屋さんが見当たらない。1時間もさまよって、気が付けば若者と学生ばかりの地区に入り込んだ様子。日本にはない大きな音と熱気に圧倒され、すっかりくたびれてしまった。
普段ならこれで解散かもしれないが、この国のバイタリティには、それを許さない魅力がある。相手が学生なら、我々の片言の英語でも通じるのでは?ということになり、仲間の一人が大学生と思われる女性におそるおそる道を尋ねた。不安に反して、大学2年のその女性は自ら道案内をしてくれるという。全員大喜びで、一件落着かと期待した。
ところが、女性はとても足が速い。雑踏の中、細い小路が入り組んだ夜の道、女性はさっさと人をすり抜けていく。仲間は徐々に距離が離れ、頻繁に携帯を掛けるようになる。誰もが、自分だけははぐれないようにと必死だが、遅れる者がいれば気に掛かって戻ったり、交差点で待っていたりと勝手に気を回すものだからいよいよバラける。加えて、最初に目指した店が混んでいて入れず、急に進行方向を変えたものだから、いよいよパニックだ。
先頭集団が「学生街でも」と妥協して焼肉屋さんに入店を決め、女子大生に礼を言って別れた。さてそれからがもう一仕事、遅れた仲間を手分けして探すものの、目印のビル名も看板も読めない。奇跡的に全員が揃ったのは、更に30分もたってからだった。
大喜びで早速乾杯となり、武勇伝が飛び交う。お互い自分のミスを詫びるものの、ふてくされた様子や他人の批判が一切出ないところが嬉しい。
女子大生の親切に心を打たれたこと、若者のパワーに感心したこと、日本人の元気が足りないこと。若者に交じって飲む酒はおいしかった。そして勘定は驚くほど安かった。
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人を憎まず、恨まず

徒然
04 /15 2013
「がんばれ元気」という少年漫画を知っているだろうか?小山ゆう氏原作のボクシング漫画である。
主人公堀口元気は、大好きな父親のボクシング姿にあこがれて、幼少の頃から一緒にトレーニングを始めるが、元気が5歳の時に突然父親が他界し、元気は資産家の母方のおじいさん、おばあさんに預けられる。何不自由のない生活、恵まれた学力、周囲の心配、そんな中にあっても元気はボクシングを辞めない。
「人を憎まずに強くなれたらいいよね。」練習を見つめる彼女が友達に打ち明けるこの一言が今でも心に残っている。ボクシングはハングリーでないと勝てないというのが常識だが、人としての優しさや思いやりが勝る場面が人生にはあるのだというメッセージに心を打たれた。
本日は、2ヶ月前までうちで働いていた職員の結婚式。新婦から挨拶を頼まれ何を話そうかと悩んでいたとき、ふとこの言葉が浮かんだ。人を憎まずに強くなれれば良いのは、何もボクシングや格闘技に限ったことではない。人の集まるところは全てそういう人がいてくれると嬉しい、彼女も入ってきた当時は、にこにこしていただけのあまり目立たない職員だった。次第に仕事に慣れて徐々に上の立場になるにしたがって、誰にも分け隔てや意地悪をしないその仕事ぶりが伝わってきた。
人の上に立つ者がそうした心掛けをしっかりもっていれば、その下に働く者だって、辛くても人を憎んだり人のせいにしたりしないのだ。そのように少しの努力を惜しまずに人と接することが出来れば、職場だってあたたかくなるものだ。
彼女の家庭がきっとそうであったように、彼女のつくる家庭もそうであってほしい。2ヶ月もかけて企画した結婚式の進行も制作したビデオもとっても丁寧で心温まるものだった。彼女が両親に宛てた手紙に心を打たれた。気が付いたら、みんな泣いていた。

宮本武蔵か認知症か

徒然
04 /02 2013
 今年は寒い日が多かった。歳をとると寒さが身にしみる。身体が縮こまって肩が凝るようなそんな日には温泉がいちばんだ、今年の冬はよく温泉に行った。
3月も終わりの日曜日、よく行く近くの温泉につかった。露天風呂から見るまわりの風景もまだ雪景色だが、温泉の空気は肌を刺すような冬の空気とは違って、いくぶん優しくなっていた。
午前中は人も少ないと思って来てみたが、陽ざしに誘われてか結構たくさんの人が入っていた。混んだ洗い場が少し気になったが、すっかり温まって上機嫌で脱衣場にもどったところ、自分のロッカーの前で少しお年を召したおじいちゃんが着替えをしている。半分座り込んでいるような格好で、随分ゆっくりした動作だ。
ここの脱衣場は、100円を入れて鍵をかける方式のロッカーが壁伝いにあって、その前に脱衣籠を並べたつくりだ。おじいちゃんのロッカーは、僕のロッカーの右下の場所で、扉の高さが少し低いので、座り込んだような格好になっているのだろう。
邪魔になると悪いと思い、おじいちゃんの着替えが終わるのをしばらく待っていたが、なかなか終わらないので、待ちきれずロッカーから服を取り出そうとおじいちゃんの頭越しに鍵を開けた。と、その時、戻ってくるはずの100円玉が下にころがっておじいちゃんの目の前に止まった。おじいちゃんは何事もなかったかのようにその100円玉を拾って、そして自分の小銭入れに入れた。
それは全く不思議な時間で、何の違和感もないごく当然のような動きを見せられては声も出なかった。そうだ、おじいちゃんは自分のロッカーから100円が落ちてきたに違いないと考えて急いで自分の財布に入れたのか、だとすれば、当然の行動ということになる。普通、自分の物でなければ、あたりを気にしたり、動きがぎこちなくなったりするはずだ。僕はそう考えた。
すると待てよ、今、開いているおじいちゃんのロッカーの扉の裏にも取り忘れた100円が残っているはずだ。僕はそう思い直した。おじいちゃんが帰ったらその残った100円をもらえばいいじゃないか。そう思うことにした。
おじいちゃんは帰った、はたして・・。100円は残っていなかった。これってどういうことなの。人間、殺気も警戒心も見せずに罪を犯せるものなのか、僕は殺気をみせずに生き物を捉える人物を宮本武蔵以外に知らない。
春の風に乗せて自分らしいメッセージを送っていくつもりの第1号は、認知症なのか達人なのか全く分からないおじいちゃんの偉業をただ見守っただけのレポートになってしまった。

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