春の風

徒然
03 /25 2013
こんなに長い冬もこんなに多い雪も記憶になかったけど、やっと春の香りを思い出させてくれそうな風が顔の周りに漂ってきた。
 人には厳しく接しても伝わらないよ。何を焦っていたの?どうして怖い顔ばかりしていたの?叱られる理由がわかりません。少しは放っておいてください。いや、いっそそんなことは忘れてください。
今年の冬、北風は何を伝えたかったのだろう。何であれほど怒り狂っていたのだろう。ぶらぶらしている北国の生き物に喝を入れたかった?それとも傷つけられる地球の痛みを訴えていた?今の時点では何も理解できないけれど、大切な何かはやがて伝わる日がくるのかも。
春の風がやってくれば、人は優しくなれる。このブログも開業間もない後輩の行政書士を叱咤激励する趣旨で厳しく書き綴ってきた。耳の痛いことばかり云われ、逃げ出したい心境の新人もいたかもしれないし、そんなに強い人ばかりじゃないと反感をもった人もいたのかと少しばかり反省もする。何よりも自分らしからぬ自分を演じると自分が先に疲れるのも事実だ。
4月の新年度からは、もっと話題の枠を広げて、普段からの自分を出していきたいと思う。北風から春の風に乗せ換えて心に伝わるメッセージを送っていくつもりだ。
スポンサーサイト

愚直に生きる

徒然
03 /17 2013
就職シーズンになると思い返すことがある。自分の進むべき将来に自信がなくなり、自分は何をするために生まれてきたのだろうと自分を切り刻んでいた頃のことである。自分という生命が目的をもって誕生したのなら、誕生の瞬間に担うべき役割が決まっているはずで、それさえ発見できれば、その道を一直線に駆け抜けることができ、自分の進路問題は一気に解決するのではないかと考えていた。
しかし、誰もがそうであるように、人生の目的を自らの中に発見することはかなわず、逆に、自らの意思と関係なく誕生したという偶然性に気付かされたり、自らの意思で生死を決められないもどかしさを味わったりもした。時間と年齢がそうした葛藤から自分を遠ざけ、自分の可能性に挑戦するしかないと言い聞かせてはみたものの、頭の片隅にある「自分は何のために生まれてきたか」からは容易に抜け出せなかった記憶がある。
自分が何のために生まれてきたかを意識しなくて済むようになったのは、誕生の必然性が周りの環境にあることを意識できたからで、風に乗って運ばれる植物のどの種がどこで芽を出すのかを自分に置き換えて見ることができるようになってからであった。
自分の生きる目的は、自分に関わる人々の期待に応えることと気付いてから、改めて自分の性格や得意分野を意識することができた。自分の進路選択には全く間に合わなかったが、自分の職業観はこの過程を経て明確になった。
いつの時代も世の中は不透明であって、いつの時代も解決すべき新たな問題が目の前に積まれることになる。最近は、すぐにマニュアルを持ち出し、ヒント・コツが持てはやされるようになったが、生きることまでがコツやヒントの軽さで扱われるのは御免だ。

fukagaipro

P・R・O行政書士法人の
代表社員・深貝亨のブログ