エッセー「半九郎が行く」 第3回
半九郎が行く
久保半九郎、1970年8月8日岐阜生まれ、札幌育ち。
武士道と義理人情にあふれた企業経営者。
趣 味:読書、料理、旅行
信 条:良い土をつくれば、自ずと良い人材が育つ
行動指針:動機善なりや、私心なかりしか? 神の見えざる手が秩序をつくる
多重国籍国家
2093年3月である。
半九郎は、今朝の映像の中に「東日本大震災」というワードを見つけた。
80年以上も前の出来事だというが、今、起きても少しもおかしくないと思った。
まさに「災害は忘れた頃にやって来る。」というもので、そろそろ大地震なのかもしれない。
こんなにAIが発達しても、未だに地震の予測は困難を極めている。
地震予測で稼いでいる国もあるが、精度は良くない。
日本の人口はその当時、日本人だけで1億3千万人近くもいたというが、現在の総人口は1億1000万人、それも元来の日本人の数は5000万人といわれている。
からくりとしては、人口の約半数が移民と呼ばれる人々だった。
つまりは日本の永住権を持っている外国人と日本に帰化して日本国籍を取得した人が半数いるということである。
2072年、当時の政府は人口減少に歯止めが掛からない現実と、国の財政赤字に危機感を抱き、永住権、帰化の要件緩和と二重国籍を認める憲法の改正を実施した。
出生率の低下と海外流出によって日本の人口はまさしく危機的状況にあった。
一方、所得格差も拡大の一途をたどり、ストライキとデモが常態化していた。
重税感から国を脱出する企業は後を絶たず、就職難が若者の学習意欲・勤労意欲を減退させていた。
政府は海外からの投資資金を呼び込み財政を補填したいと考え、その手段として永住権を与えた。
当時は、金で日本人の心を売るのかと大きな批判を呼んだものの、魅力ある日本の生活を夢見て、多くの国から豊かな人たちが押し寄せて、政策としては大成功だった。
帰化の要件を緩和したことも大きな成功であった。
それまで日本の国籍を取得すれば、原則元の国籍を放棄させるのが条件であったが、これも緩和した効果は大きく、政情不安な国々から逃れるがごとく帰化申請が殺到した。
帰化の条件にある優秀さについてはハードルを下げなかったのが幸いして、文化水準を下げずに済んだことで日本の魅力が更に広がった。
日本の人口はあっという間に倍増し、一見大成功に思えた。
しかし、現実は一人勝ちできるほど甘いものではなかった。
諸外国も二重国籍や多重国籍を認めだしたので、今度は多くの日本人も二重、多重の国籍を取得し始めたらしい。
法律改正から20年を経て、ようやく人口の移動が収まってきた。
人々の生活は、海外との関係で大きく振り回された。
何といっても子供の将来が決定づけられることのほうが、自分の将来より重要であることが証明されたのはいうまでもない。
そして、国を選択する何よりも大きな要素は、兵役と軍隊だ。
誰もが戦争を望んではいないし、招集されるような国にしがみついているのはうんざりだった。
この世界中の動きは、兵役の廃止と軍隊の縮小に著しく貢献して、世界を平和に導くことに拍車をかけた。
もう一つの重要な選択肢は税制であった。
税率を下げて小さな政府を運営することが余儀なくされたことから、各国は、減税合戦に突入し、その結果、世界の人々の収入と資産の格差を大きく広げる結果となった。
インターネット取引が拡大したころから国境の壁が低くなると予測はできたし、多国籍企業や世界中の企業が電子決済を利用できる環境になって一気に様変わりし始めた。
だが、人口が減ることは悪なのかといえば、そうとは言い切れない。
人が地球の恩恵で生きているとするなら、人口はむしろ少ない方にメリットがある。
近年、様々な分野で少数精鋭主義がもはやされているのは、そういう風潮が背景にある。
少人数でも高付加価値を生み出せる環境が整えば、安心できる国家となるのだ。
武士道と義理人情にあふれた企業経営者。
趣 味:読書、料理、旅行
信 条:良い土をつくれば、自ずと良い人材が育つ
行動指針:動機善なりや、私心なかりしか? 神の見えざる手が秩序をつくる
多重国籍国家
2093年3月である。
半九郎は、今朝の映像の中に「東日本大震災」というワードを見つけた。
80年以上も前の出来事だというが、今、起きても少しもおかしくないと思った。
まさに「災害は忘れた頃にやって来る。」というもので、そろそろ大地震なのかもしれない。
こんなにAIが発達しても、未だに地震の予測は困難を極めている。
地震予測で稼いでいる国もあるが、精度は良くない。
日本の人口はその当時、日本人だけで1億3千万人近くもいたというが、現在の総人口は1億1000万人、それも元来の日本人の数は5000万人といわれている。
からくりとしては、人口の約半数が移民と呼ばれる人々だった。
つまりは日本の永住権を持っている外国人と日本に帰化して日本国籍を取得した人が半数いるということである。
2072年、当時の政府は人口減少に歯止めが掛からない現実と、国の財政赤字に危機感を抱き、永住権、帰化の要件緩和と二重国籍を認める憲法の改正を実施した。
出生率の低下と海外流出によって日本の人口はまさしく危機的状況にあった。
一方、所得格差も拡大の一途をたどり、ストライキとデモが常態化していた。
重税感から国を脱出する企業は後を絶たず、就職難が若者の学習意欲・勤労意欲を減退させていた。
政府は海外からの投資資金を呼び込み財政を補填したいと考え、その手段として永住権を与えた。
当時は、金で日本人の心を売るのかと大きな批判を呼んだものの、魅力ある日本の生活を夢見て、多くの国から豊かな人たちが押し寄せて、政策としては大成功だった。
帰化の要件を緩和したことも大きな成功であった。
それまで日本の国籍を取得すれば、原則元の国籍を放棄させるのが条件であったが、これも緩和した効果は大きく、政情不安な国々から逃れるがごとく帰化申請が殺到した。
帰化の条件にある優秀さについてはハードルを下げなかったのが幸いして、文化水準を下げずに済んだことで日本の魅力が更に広がった。
日本の人口はあっという間に倍増し、一見大成功に思えた。
しかし、現実は一人勝ちできるほど甘いものではなかった。
諸外国も二重国籍や多重国籍を認めだしたので、今度は多くの日本人も二重、多重の国籍を取得し始めたらしい。
法律改正から20年を経て、ようやく人口の移動が収まってきた。
人々の生活は、海外との関係で大きく振り回された。
何といっても子供の将来が決定づけられることのほうが、自分の将来より重要であることが証明されたのはいうまでもない。
そして、国を選択する何よりも大きな要素は、兵役と軍隊だ。
誰もが戦争を望んではいないし、招集されるような国にしがみついているのはうんざりだった。
この世界中の動きは、兵役の廃止と軍隊の縮小に著しく貢献して、世界を平和に導くことに拍車をかけた。
もう一つの重要な選択肢は税制であった。
税率を下げて小さな政府を運営することが余儀なくされたことから、各国は、減税合戦に突入し、その結果、世界の人々の収入と資産の格差を大きく広げる結果となった。
インターネット取引が拡大したころから国境の壁が低くなると予測はできたし、多国籍企業や世界中の企業が電子決済を利用できる環境になって一気に様変わりし始めた。
だが、人口が減ることは悪なのかといえば、そうとは言い切れない。
人が地球の恩恵で生きているとするなら、人口はむしろ少ない方にメリットがある。
近年、様々な分野で少数精鋭主義がもはやされているのは、そういう風潮が背景にある。
少人数でも高付加価値を生み出せる環境が整えば、安心できる国家となるのだ。
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