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エッセー「半九郎が行く」 第1回

半九郎が行く
09 /16 2022
久保半九郎、1970年8月8日岐阜生まれ、札幌育ち。
武士道と義理人情にあふれた企業経営者。

趣 味:読書、料理、旅行
信 条:良い土をつくれば、自ずと良い人材が育つ
行動指針:動機善なりや、私心なかりしか? 神の見えざる手が秩序をつくる



JALファーストクラスにて
2022.09.15

メニューを持参し、
「お食事のご用意がございますが、飲み物を何かお持ちしましょうか?」というCAさんの声をさえぎって、
「食事は要らないので、お水と後からホットコーヒーをお願いします。」
「フルーツだけでも如何ですか?」
「いいえ、けっこうです。」
「それとひざ掛けをお願いします。」
「分かりました。」

間もなく、お水が届きました。
随分早いタイミングだと感じたものの、ペットボトル入りなのでまあ今でもいいかと受け取りました。

ですが、しばらく待っても膝掛けが出てまいりません。離陸が迫っていたこともあって、少々意地悪かと思いましたが、他のCAさんにお願いして持ってきて頂きました。
先のCAさんはそのあと脇を通り過ぎましたが、全く気付かない様子で、何の反応もありませんでした。

半九郎は物忘れをしないための工夫について考えました。
物忘れを防ぐために、用件を分類する手法を思い出しました。

この場合だと飲食に関する用件と、ひざ掛けに関する用件に分類します。
飲食に関することは2点、ひざ掛けは1点です。人の頭は、2点のよりも1点のほうが忘れやすいので、忘れやすい1点の用事から済ませるようにします。
こうすれば、このCAさんもひざ掛けを忘れることはなかったのにと思いました。

ところが、飛行機が動き出すとのアナウンスが入ったときに、脇を通りかかったくだんのCAさんが、「すみませんでした、本来は私がご用意させていただくはずでした。」とひざ掛けを忘れたことを丁寧に詫びて来られました。
半九郎は、その勢いに少し驚きましたが、同時に胸が痛みました。
姑息な感情から他のCAさんにお願いしたことを恥じました。
 
人にとって大切なことは、誠実さであったと痛感しました。
多少の忘れ物で、相手を見下した感情をもったこともその予防策を考えていたことも、そんなことは、誠実さから比べると微々たるものだという感情が湧き出てきました。

「いえ、どういたしまして。」と腹の底から絞り出して挨拶を返すのがやっとでした。
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【 コロナ対策に思う 】

徒然
07 /22 2020
 
弊社は、車の売買とは切っても切れない自動車登録業務が多い事務所です。
登録が完了しなければ、売買代金の決済が終わらないことや、ナンバープレートが付かないなどお客様への影響が大きく、勝手に仕事を休止する訳には参りません。

今回の新型コロナウィルス感染症に対しては、当初より仕事に穴をあけることはできないと決意し、早速、サテライト作業所を設置することとテレワークを導入することで従業員を分散し、なにがあっても事務所を休止することがないよう措置して参りました。
しかしながら、紙や物を扱う仕事が多いため、作業を分散すればどうしても業務効率が低下してしまいます。事態が長期化するとの見通しが大勢を占める中、業務効率の低下を放置すれば競争力を失い経済的に会社が回らなくなってしまいます。

そこで、対策の方針を転換する決断をしました。
方法は、座席の配置を分散し、同種の仕事をする人を近くに置かずバラバラに配置する仕組みです。そうしておけば、最悪誰かが感染したとしてもその周りの人は他部門の人ですから、そこの業務が全て停止することはありません。
それと並行して有効と考えるのが感染の予防・防護対策です。感染の予防・防護が有効なのは、濃厚接触者と判断される人を出さなければ休業はないということです。仮に誰かが他から感染したとしても、残る全員が濃厚接触者と判断されなければ、1名の欠勤で片が付きます。
濃厚接触者調査は保健所が中心となって実施し、予め定めた項目に該当するか否かで濃厚接触者を決定する仕組みになっております。
従って、行政の提示事項を充分に理解し、その基準を満たすような勤務環境を構築することが必要になります。もちろん感染者は出ないに越したことはありませんが、不幸にして職場から感染者が出た場合、行政が対処するルーティンを知り、基準をクリアできる安全環境を構築しておけば、何かあっても最小限の休業者で済むことになります。

行政の基準も分かりにくい点が多いので、よく確認しておく必要があります。
弊社も関係方面の指導を仰ぎつつ、具体的な調査項目とその判定基準をクリアできるような事務所環境を整備して参る所存です。
 
皆様も色々な方法を講じておられると思いますが、この話がどなたかのお役に立つことがあれば幸いです。

【 不都合な真実 】

徒然
07 /16 2019

情報化社会になって、世界のグローバル化は一気に加速しています。
グローバル化という言葉に違和感はありませんが、今後拡散する情報産業のグローバル化は、人類にとって不都合な真実となるかもしれません。
世界のリーダーは誰一人その不都合な真実を口にしません。彼らは、地球はいずれグローバル化に洗われるという必然性を認識しており、グローバル化に抵抗することが歴史を逆転させるほど馬鹿げていると考えているのかもしれません。
これまでもそうであったように、今後も同様にグローバル化が押し寄せてくるでしょう。ですが、これまでの常識を超えたグローバル化社会は、多くの不都合を伴って拡大するという真実に目を背けてはなりません。

ソビエト連邦の崩壊により、東西冷戦が終結しました。冷戦はグローバル化拡散の最大の砦でした。
資本主義が際限なく広がることを封じる仕組みが共産主義の罠でした。貧富の差が大きくなれば自動的に共産主義の罠にかかり、国は共産主義に染まり、資本家は命からがら逃げださなければならなくなると信じられていました。

しかし勢いは止まりません。
グローバル化は共産主義という枠から解放されただけではなく、拡散の速度も猛烈にアップしました。グローバル化の担い手である企業は、金融情報産業なので、距離、時間という物理的条件に拘束されません。また、多くの国を駆け巡るので、独占禁止法の網に掛かりにくく、更には、大きな設備を要しないことから、課税するのも容易ではありません。
グローバル化に洗われることは、ほんの一握りの富裕層とそれ以外の人々しか存在しなくなることを意味します。

さて、自由主義経済は、神の見えざる手が最後は勝利すると教えられてきました。国民主権、民主主義、少数意見の尊重、どれもが神の見えざる手を意識してのことです。胸に手を当てて考えれば何が真実で何が正義かが分かる。天は自ら助くる者を助く、神の御心さえも同様でした。
人類はこれから史上類のない混乱に遭遇することになります。
胸に手を当てて考えたことが裏切られる、これまで正義として教え込まれていたことが敗北する、そうした現象が地球規模で頻発する時が迫っています。
人類の英知がこれを乗り切るのか?人々の精神力が経済の誘惑を断ち切れるのか?結果は安易に予測できません。
しかし、それはまさしく不都合な真実なのです。


 【 夢の社会 】

徒然
06 /14 2019

又々、人工知能からの展開で恐縮なのですが、AIが仕事を奪うという危機感が叫ばれる中、一方で「人はこの先働かなくてもよくなる。」という夢のような話がまことしやかに囁かれています。

これまでの産業革命の歴史を振り返ると、人畜の力が蒸気機関、内燃機関に、更には電動に取って代わられました。パワーの源が変化したことにより、肉体労働は著しく減少しました。
代わって頭脳労働が主役となり、学歴偏重社会や技術者不足を招きました。労働が軽易になったことによって、人は、重労働から解放され、そのことに異を唱えた者は消え去り、そのことを前向きに受け止めた者は新しいエネルギーを活用して新しい仕事にありつきました。機械を動かすオペレーターや修理する技術者、さらにはその機械を制作する者と様々な職業が誕生し、収まるところに収まった感じです。

AI・ITの発展も、事務作業、頭脳労働に縛られることから解放される訳で、解放された人々は、当面、人工知能を活用しコントロールする者、人工知能を修理する者、人工知能を開発する者等に分かれるでしょう。このような現象によって、労働時間は短縮され、人々はより楽な生活を送るであろうことは想像に難くありません。
どちらの革命を通じても、一人当たりの生産効率は著しく上昇することとなり、人々は苦役から解放されるという社会がぐっと身近になる気がします。
しかし、このような想像を真に受けて、バラ色の生活が待っていると安心できる人はまず居ないと思われます。自分を含め、庶民感覚としては、見えない何かに不安を抱き、何かに怯えているのではないでしょうか。

では、冒頭の「人はこの先働かなくてよくなる。」と言われて素直に信じることのできない本当の理由は何なのでしょう。
一つには、自分が取り残されるのではないかという不安があります。しかし、それよりももっと問題なのは、この先、何が人の優劣を決めるのかという新しい物差しの基準が見えないことではないでしょうか?

体力、知力の次に来るものを敢えて言うならば、私は、魅力だと考えます。
心の魅力、発想の魅力、見た目の魅力こうしたものの大きさが、可視化され、目盛りとして映るのが次の時代だと思います。富の差はこれまでより大きくなり、本当に一部の富裕層とそれ以外の人々に別れるかも知れませんが、その基準は魅力ある人間かどうかという点に集約される気がします。

魅力ある人物は、AIをもっても代替できません。
そばにいて欲しいと思われる人間が最も成功者に近い社会がすぐそこに来ています。


【 連休明け 】

徒然
05 /07 2019

改元に伴う大型連休が終わりました。いつにまして心も身体もだるくて重いのは自分だけではないでしょう。

あれは、高校2年の5月だったと思います。
夏の高校野球大会を前に、我校の応援団は危機的状況にありました。現役の団員が少ないうえに、新入生の勧誘も上手くいかず、部員数が通常の半数以下という非常事態に突入しておりました。
そこで、生徒会の下した決定は、各クラスから最低1名の応援園団員を選出するという荒療治でした。

今も昔も、後輩世代は先輩方から厳しいお言葉をいただいております。当時、我々の世代を指す呼び名は、「無気力・無関心世代」という言葉で、団塊世代の先輩方から見ると何とも頼りのないしらけ世代という眼であったようです。
こういう世代だからこうした問題が起き上がったのかどうかは定かではありませんが、この問題はクラスでは衝撃でした。

ホームルームでは、生徒会の決定に対する不満も多く出ましたが、現実に誰かが対応しなければならないとの意見が大勢を占め、このクラスからも応援団員を選任することになりました。
ところが、総論賛成各論反対ではありませんが、いざとなると誰もが自分だけはやりたくないと手が挙がりません。もう時間もなくなってきた頃、少し悪ぶった連中が推薦の口火を切りました。標的にされたのは一番体格が良くて、少し気の小さいA君でした。クラスは1年生から同じ顔ぶれなので、お互いの強さも弱さも分かっていたのと、体育会系のクラブに所属していないことが条件だったので、A君にお鉢が回ってしまいました。
A君は、最初猛反対をしましたが、多数決では勝てないと思ったか、「ならば、もう1人選んで欲しい。」と、半ば涙声になって訴えました。でも、誰も巻き添えになりたくないので、悪ぶった連中を中心に、「早く多数決で決めようぜ。」と繰り返しました。

ところがその時、突然B君が、「俺がやる」と挙手をしました。周りはあっ気に取られました。確かにB君も体育会系のクラブには所属していませんでしたが、彼は真面目人間のグループで、応援団には明らかに不向きでした。でも、この状況では誰も反対はできず、教室は静まり返りました。1人喜んだのはA君で、急に元気になりました。結局、我クラスは、2名の応援団員を選出しました。
その夏、B君も大声をあげて応援団の練習をしていました。クラスの他の連中は、無気力世代よろしくその後は誰もこの出来事に触れませんでした。

さて、肝心の野球部は、1回戦勝利、2回戦全校応援の甲斐もなく敗退。その夏は、地区大会予選であっけなく終わってしまいました。
でも、A君もB君も3年生のクラブ活動が終わるまで応援団員でした。

深貝 亨

P・R・O行政書士法人 代表のブログ