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【 シャレにならない 】

徒然
09 /10 2018
 台風21号が駆け足で列島を駆け抜けたと思ったのも束の間、北海道で未曾有の地震が発生しました。

震源地付近の大きな土砂崩れが民家を襲い、多くの犠牲者が出てしまいました。加えて震源地近くの発電所が罹災し、大規模な火力発電設備がダウン、連鎖で全道が停電に陥りました。
震源地から少し離れた札幌市は、都市型の被害に襲われました。清田区や隣の厚別区で道路や宅地の陥没、液状化現象が起きました。また、その道路の下にある水道管が破裂し、付近を中心に大規模な断水となりました。
震源地厚真町や安平町の災害と札幌市の災害は少し様子が違います。

報道されませんでしたが、札幌では地震の前の台風21号が風速30メートルにも及び、ゴルフ場や公園で多くの倒木が出ました。幹の中間で折れている樹木もありますが、多くは根本からひっくり返っています。さらに観察すると、風の強さ、方向もさることながら、倒木は火山灰地に集中していることが見えてきます。また、倒木は、高台よりも少し低い土地のほうで確立が高くなっています。災害を大きくしているのは、埋め立てられた火山灰であることが見えてきます。

札幌市で家が傾き危険とされた中の一軒が、弊社のOGの家でした。
働き者の彼女は、結婚しても共稼ぎを続け、やっとの思いでローンの返済を終えた頃だと思います。「危険立入禁止」の赤紙を貼られて、親戚の家に身を寄せたそうです。
若気の至りで、元の地形を調査することも、埋め立てられた土が火山灰であったこともさほど気にせずに、夢のマイホームを手に入れたものです。札幌市から、100万円の見舞金が支払われたと聞きましが、やるせない気持ちが手に取るように伝わってきました。
 広島県でも同様の被害が出ています。住宅分譲は、高低差をならして平らな団地を形成します。高い部分の土を低い土地に押して高低差を解消しますが、こうして盛られた土地がいかに脆弱かは推して知るべしです。
いわば人災ですが、瑕疵責任を問える期間はとうに超えており、行き場のない怒りは、怒りを通り越してへらへら笑うしかないのかとも思います。全くシャレにならない庶民の生活がそこにあります。

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〖 甲子園球場 〗

徒然
08 /07 2018
高校野球全国大会が開幕した。
夏の風物詩となって久しいが、今年は、100回の記念大会とのこと、どんな野球ドラマが生まれるのか、大いなる盛り上がりが期待されるところだ。

 ただ、今年の夏は手放しでは喜べないほど多くの災害と猛暑が日本列島を襲った。
猛暑は大会開催中も観測史上の最高値を更新中である。
この猛暑の中、プレイする選手たちの健康状態が気になる。
甲子園で戦える興奮は、選手の暑さや汗に対する感覚を奪って余りあるが、試合に臨む選手、応援団に一体どれだけの負担がかかるのかと不安になる。フェアプレイ、熱血称賛、スポーツマン精神を持ち出して、汗とホコリにまみれた青春の一コマを煽る風潮も依然健在ではあるが、エースピッチャーが熱中症で病院に運ばれるような場面や選手生命を絶たれる事態になる前に主催者は策を講じるべきと思われる。

甲子園は高校野球の聖地である。いきなり、東北や北海道に球場を移すのは、いささか性急すぎるが、ドーム化すれば一気に解決する。ただ、ドーム化するには想像以上の困難が待ち受けているのだろう。
衆知を結集してこの問題に取り組むべきだと考える。日本列島の温暖化は、今後も加速度的に進行する。異常気象のリスクも同様に高まる。

人類の選択肢は、寄って立つ地球の動きに左右されるので、必ずしも人類の計画通りに進むとは限らない。
科学の進歩が勝り、人類が地球環境を変えられるのか?それとも、地球環境はこのまま変化を続けるものの、人類が地球環境に対応できる生物に進化できるのか?更には、そうした課題に左右されず、世界中どこからでも仕事ができ、地球上のどこででも自由に生活できる新しい社会が登場するのか?
人類の人口が減少するようになれば、地球温暖化は止まるのか、仮に気温50度でも平気で生活できる身体に進化するのは少なくとも親子三代は必要だろう。IT・AIが頭を使う仕事を担い、人がクリエイティブな思考を仕事にするのにはどの程度の歳月が必要なのか。生活様式の変化が案外早く訪れるかもしれない。

ただ、甲子園大会はバーチャルでは開催できないし、猛暑も納まる様子はない。
甲子園球場の課題解決は、喫緊の課題なのである。


20180807

【 酒呑み天下泰平 】

徒然
07 /17 2018
雪見酒、花見酒ならいざ知らず、年中、酒に関するブログしか書けない自分が情けない気もするが、今回は、高価な日本酒を頂いた際の心模様について書かせていただきたい。

自分は、家で晩酌をする習慣を持ち合わせていない。だが、高価なお酒を頂いて、いつ、どこで飲もうかという算段になると、この習慣そのものに疑念を抱いたりもする。
自分だけで飲もうか、何かの機会に仲間達の集まるお店に持って行って振舞おうか、それとも、自宅か親類に人が集まる時に開けようようかと様々な場面を思い浮かべてしまう。特に、しぼりたてや原酒など火入れをしていないお酒は、ふたを開けなくとも発酵が進むので早く呑まなければならず、選択肢は限られる。
良い酒は、ゆったりと、舐めるように飲み始めるのが美味いに決まっているとはいえ、自分は、家で夕食を摂ることがほとんど無いので、自分だけでゆっくり酒を呑むことはほとんどあり得ない。

一方、外は外で、仲間たちで勢いよく飲み始めると、とりあえずビールで乾杯ということになってしまう。元来、酒は、美味さを味わいゆったり呑めば良いのだが、宴会の勢いで最初から日本酒を飲み始めては、最後まで持たないことは、何度もの経験で実証済みだ。

では、自宅や親せきで、人が集まる時に提供するのはどうかというと、そうした機会は最近めっきり減ってしまったので、この宴会用にとって置くには、賞味期限が短すぎる。
ならば、何かの行事の際、景品として提供すれば良いとも思うが、誰に当たるか分からないのでは、贈って頂いた方の厚意を無にしてしまうようで勿体ない。

要は、そう簡単には他人に呑ませたくはないのだ。深層には、どこか独占したい私欲が潜んでいるか、他人に美味い酒を飲ませたくない心の卑しさがあるのかもしれない。美味しい酒は独占したいものの、すぐには酔っ払いたくない、かといって他人だけに簡単に飲ませるようなことは御免だ。
酒飲みの葛藤は、賞味期限ぎりぎりまで続き、その間、高級日本酒は、一番おいしい時期が無駄に費やされている。決断力の欠如と我欲が、確実にお酒の味を落としているのである。

だが、そうしたことに動じず反省もしないのが、酒飲みの酒飲みたる所以である。
表面張力で盛り上がるほど、なみなみと注いたお猪口を卓に置いたまま、手も触れずに口から近づけて呑みにいって、一口すすればそれまでの葛藤も決断力の欠如もすっかり忘れて、上機嫌になる。
全く酒飲みは、天下泰平である。
お酒ほど効く薬もなければ、お酒ほど大切な友人もいない。

【 いちご狩り 】

徒然
06 /15 2018
この歳になっても、年に何回か頭をかすめる子供時代の苦い思い出がある。

確か小学2年生のことだ。
夏の学校の帰り道、同じ方向に帰る同級生5人、誰かが近くの畑にイチゴがなっていると言い出した。誰が言い出したわけでもないのに、全員がイチゴ泥棒を決めていた。
イチゴは、農家の自家用に植えていたもので、まだ完熟していない少し青みがかった状態だった。だがそんなことはお構いなしで、酸っぱそうなものを避けて赤くなっているものを必死で探して食べた。

特に罪悪感もなく、おいしそうなイチゴ探しに没頭していたその時、誰かが「来た。」と低い声で言った。
みんなは、蜘蛛の巣を蹴散らしたように、必死で逃げた。頭の中は空っぽで、とにかく一目散で逃げた。
畑と畑の間の道を夢中になって走った。途中から他の連中は左に逃げたが、自分は、目に入ったとうきび畑を目指して右手に折れた。走って走って、もう大丈夫だろうととうきび畑の中に身を潜めた。心臓の動きは耳に聞こえるほどの音を立てているし、吐いた息よりも吸う息の方が多くてゼイゼイ音を立てていた。
でも何とか、自分だけは捕まらなかったという安心感と、高いとうきびの丈が太陽の光を遮って少しだけ涼しかった。
とても長く感じたが、わずか3分間位の出来事だ。

だが、閉じていた目をゆっくり開いて前を見たとき、その目に飛び込んできたのは、大きな長靴の先だった。
一貫の終わりだった。一瞬殴られるかと思った。
しかし、次の瞬間そのおじさんが発した言葉は意外だった。「お前どこの子だ」それだけだった。
短い沈黙があった。「ふかがいです。」と答え「ふん」と言われた。
全くふがいなかった。
おじさんがうちの親を知っているのかどうかも分からなかった。適当に誰かの名前を言ってしまおうかとも考えたが、それは田舎で暮らす人間には通用しない。そんな卑怯な奴の一人に数えられたくなかった。

その年は、いつ学校の先生に呼び出されるか親に問い詰められるか不安で仕方がなかった。
共犯の同級生も、あのあとは、誰一人そのことに触れなかった。

路地もののイチゴを見かけるこの時期、ましてやいちご狩りの看板に遭遇すると、もう何十年も前の放課後のことを昨日の事のように思い出す。

【 依存症 】

徒然
05 /15 2018

 世間で、芸能人のアルコール依存症が取り沙汰されている中、このテーマは、いささか嫌な雰囲気を連想させるものの、過去の経験から少しお話を進めたいと思います。

 依存症とは、やめたくてもやめられない状態になることだ。
では、やめられる人とそうでない人は何が違うのかというのが問題の本質ということになる。

 若い時分に先輩たちに飲まされて、原液がなみなみ注がれた大きめのグラスを一気に飲む同僚を見て、「あいつ狂っている。」と耳打ちしていたのに、自分の番になったらなんか飲めそうな気がして、一気に飲み干してしまったウィスキー。
即座にトイレに駆け込んで、吐くものが無くなるまで便器に顔を突っ込んで、もう酒は飲まないと決心したこと。
 もう一回もう一回と球を交換して、最後には帰りのバス代の百円玉までも交換して、全て無くなるまで負けたパチンコ。もう二度としないと心に誓って、トボトボ歩いて帰った道のりの暗く長かったこと。
 予想した馬券を買いに行く途中の地下鉄の中、隣の席で予想をしているオジサンの赤鉛筆の数字をみて、一点だけ買うのをやめた馬券が的中してしまった競馬。自分のふがいなさと運の無さに落胆し、もう絶対馬券は買わないと心に決めた帰りの地下鉄。

 依存症に陥る人の特徴は、こうした苦い経験を積んでも、それを上回るような自信のある人が多い。小心者は、賭け事ならまず「負けたらどうしょう」「きっとまた負けるに違いない」というフレーズが来る。お酒なら「酔って前後不覚になったらどうしょう」「身体を悪くしたらどうしょう」「寝過ごしたらどうしょう」といった具合である。
 依存症に陥る人のフレーズは、「負ける訳がない」「今度こそ勝てる」となり、「酒は酔うために呑むもの」「酒ごときが飲めないようではろくな仕事は出来ない」となってしまう。
 
 ここまで書き進んで、そうして自分を振り返ってみると、ギャンブル依存症には絶対にならないが、アルコール依存症には、ひょっとして既になっているかも知れない??
 春の陽気につられて、気が大きくならないよう一年一年が勝負、というよりも、一日一日が気を抜けない年頃かとも思う。

 酒は魔物だ。

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